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タイトル 日本スーパーマーケット創論 1
記事No1835
投稿日: 2006/05/20(Sat) 07:09:00
投稿者takeo
お待たせしました。それでは始めたいと思います。
じっくり行きたいと思いますので、そのつもりで。

(おことわり:以下では「スーパーマーケットを「SM」と略記します。)

タイトル作業1 全体像を把握する
記事No1836
投稿日: 2006/05/20(Sat) 07:12:30
投稿者takeo
皆さん、一通り読んでいただいているわけですが、まずはあらためて、概要を俯瞰しておきましょう。

まず目次を眺めてみましょう。

目 次

序 章 SMは高等動物的システムである
第一章 組織に頭脳を作る  
第二章 店舗を作る  
第三章 本部を作る 
第四章 神経系を作る  
第五章 コミュニケーションを創る 
第六章 人材を創る
第七章 人事評価制度を作る  
あとがき

作業:
@序章とあとがきをもう一度読んでから、この目次を眺めてみましょう。
A著者の問題意識とアプローチのシナリオを把握してください。
B著者の「SM三部作」における本書の位置を確認してください。

※以上について、私なりのとらえ方は「たたき台」として後ほどアップしますが、まずは皆さんそれぞれトライしてください。

タイトル1-1構成とポジション
記事No1841
投稿日: 2006/05/21(Sun) 10:05:10
投稿者takeo
さて、本番です(笑
お約束の「たたき台」です。
皆さんのトライとの異同は如何でしょうか。
疑問や不服はどんどん提出してください。

1.著者の問題意識:
 これは「本物とスーパーとは何か」ということ。
もちろん、この問題は解決されたわけではありません。取り組みの「特定の段階における到達地点」という「仮説としての理論提出」です。

著者のアプローチは次のように進められています。

@『日本スーパーマーケット原論』1999 (以下『原論』)
A『日本スーパーマーケット創論』本書 (以下『創論』)
B『サミットストア物語』雑誌連載中 (以下『物語』私は未読)

あとがきによれば、執筆実践は、@〜B〜A(途中からBと併行、こちらが先に完了した)ということです。

2.本書のポジション

それぞれの著作の役割は、
『原論』・・・@SMの一般理論
『創論』・・・A日本型SMのモデル
『物語』・・・B試行記録
ですね。

荒井さん(著者の本名です、もちろん)のお仕事としては、この順序で行われたわけではなく、Bに述べられているであろう試行過程において@及びBが自覚的に作り上げられていった、ということでしょう。

それぞれの役割を簡単に解説しておきましょう。
『原論』:SMの一般理論
 一般論は、定義され説明されているカテゴリーに含まれる個別事象は、全てこの理論を当該事象の環境条件における現れとして説明できる、という性格を持つ知識です。

 SMを例にすれば、
SMは「内食提供業」というのが安土さんによる「SMの規定」、これを「業態」として展開するために「必要な機能」が一般理論の役割です。
「一般理論」=「社会的役割〜機能〜定義」でもよろしい。
事業機会とする「社会」「環境」が変化しても、そこで果たす役割は変わらない、とすれば、「機能」の現れ方を環境に適合させなければならない。
これが「モデル」です。安土さんの「SM一般理論」は「業態論」をもとに展開されています。このあたりについてはまた後ほど。

『創論』
これは、SMという小売業の社会的機能を、現代日本という環境において遂行するために必要な条件を実現する「SMづくり」というレベルの理論です。
現代・日本社会という条件の下で、
@社会的機能としての小売業の
A一分肢であるSMが
B機能するために必要な組織構造
Cその実現方法
を明らかにしようというのがこの本の任務だということになります。

つまり、我々がここで格闘しようとしている『創論』は、このような領域の取り組みに貢献することを目的に書かれ、提案されているのだ、ということを確認しておきたいと思います。

『物語』
先述のとおり、理論体系としては、@一般論〜Aモデル〜B実践という戦後関係です。ただし、実際の安土さんの荒井伸也としての実践は、Bの試行が断然先行しており、というか、サミットストアを経営する、という役割の中で繰り返された「仮説〜試行」の過程から徐々に@およびAが整理され、まとめられた、ということです。

 このことは、三部作がそれぞれ役割を分担しながら、叙述においては理論〜試行を往還する、という著者の自覚的な手法からしっかりくみ取っておきたいと思います。

以上で、安土さんの「SMとは何か」問題意識と問題解決を担う「三部作」の構成と体系における『創論』の位置・役割を確認しました。


※これから格闘する『創論』の位置と役割は了解されたでしょうか。
内容は、
@著者が提出している問題の「解」として首尾一貫しているか?
A「解」として適切か?
という二つの視角から検討していきます。

「たたき台」は、たぶん、あなたの想定外だったかも知れません。
が、しばらく辛抱していただくとおもしろくなってくるはずです。
最初にも書きましたが、疑問・不服、対案などがあれば、どんどん書き込んでください。

ではまず『原論』を行論に必要な範囲で簡単に確認したいと思います。

※その前におことわりを二つ。

その一 著者には関連著作として『安売り礼賛に異議あり』があります。これには本書でも幾度も言及されています。著者のSM理論に於いて「価格」「安売り」は重要な位置を占めていますが、特にこの本を取り上げる予定はありませんので。

その二 『物語』については、『創論」の言及ではじめて存在を知りました。つまり、未読です。
雑誌連載中とのことですが『販売革新』でしょうか・・・・?

タイトル注記:作業の意義
記事No1842
投稿日: 2006/05/21(Sun) 11:02:42
投稿者takeo
 「商店街商売」の脱却を試みるに当たって、その方向を
SM業界における商店街商売=見よう見まね・三頼主義との格闘を演じたサミットストアの仮説〜試行という先行事例に学ぶ、
ということが第一。

第二に、サミットストアが採用した「全ては疑いうる・納得の出来る方法を作っていく」という方法論レベルでの採用に学ぶ。

第三に、一般論〜モデル〜仮説・試行という「三段階論」を検討する

第四に、サミットストアの仮説〜試行のすべてを「専門店」で応用するとしたら、どういう取り組みになるのか?

といった、非常に今日的な課題への「解」発見の試行として行うのだ、ということの確認を共有しておきたいと思います。

自分の商売・自分の能力アップのために」取り組む作業だ、という位置づけが大切です。
「挙手する」ということはこのことの確認ですよね。

私ももちろん、そういう位置づけのもとに取り組んでいます。

タイトルモデルの骨格
記事No1855
投稿日: 2006/05/24(Wed) 12:29:27
投稿者takeo
> 現代・日本社会という条件の下で、
> @社会的機能としての小売業の
> A一分肢であるSMが
> B機能するために必要な組織構造
> Cその実現方法
> を明らかにしようというのがこの本の任務だということになります。

SMとは:
「内食材料調達行動に対応して社会的機能を営む業態である」
店づくりの骨格は:
@立 地:住宅地
A品揃え:生鮮食品重視
B店 舗:適正規模
であり、さらにこれを
C計画し、実現し、維持していく
ということになります。

これらの要因をどのように整合させ、「コンセプト」を店づくりとして実現するか?

この問題への解答の試みが「創論」です。

タイトルアプローチ
記事No1856
投稿日: 2006/05/24(Wed) 12:50:06
投稿者takeo
 SMのコンセプト〜『原論』を踏まえて「あるべきSM」を構想する。
いうは易く、取り組むにあたってはどこから始めるか、何しろ常に「ワンセット」「バランス」を考えて進めなければならず、世上流布する細切れノウハウを寄せ集めればなんとかなる、というものではありません。
作業は常に「全体と部分」の往還作業として進められるわけですが、こういう作業を効果的に進めるためによく用いられるのが、「アナロジー」という方法です。
アナロジーについては
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1797&reno=1796&am ..... amp;page=0

安土さんは、スーパーマーケットの構造を構想するにあたって、「高等動物」をモデルに考えていく、という方法を採用しました。
SMは、「機能的分業」すなわち、区分されたここのセクションがそれぞれ分担する機能を十全に発揮することによってはじめて全体としてのSMが果たすべき社会的機能である「内食材料提供業」としての役割を遂行することができる。
如何に部分的に「部分の機能」として優れていても、それが全体としてのSMとしてのあり方を実現するために期待されている役割を果たしていなかったとすれば問題です。

 部分を考えるに当たっては、全体において果たす機能を基準に考えなければならない。
今、あるべきSMを何か、典型的な「機能的分業システム」をモデルに考えてみようということで、選択されたのが、「高等動物」ですね。
(序章 特に16〜19ページ)
次のように書かれています。
「スーパーマーケットを創るとは、分業組織を創ること、それは意識的に高等動物的仕組みを作ることである」(19ページ)

もちろん、SMを創るということは、「原論」段階で定義された「内食材料調達行動に対応する業態」を実際に創るためのモデルを構想することであり、この作業に取り組むにあたって「意識的に高等動物的仕組みを作る」というアプローチで進める、ということです。

以上を踏まえてあらためて「全体の構成=全体像」を見ますと

序 章 SMは高等動物的システムである
第一章 組織に頭脳を作る・・・頭脳  
第二章 店舗を作る・・・・・・体躯  
第三章 本部を作る・・・・・・体躯 
第四章 神経系を作る・・・・・神経  
第五章 コミュニケーションを創る・・情報 

というように「動物」のアナロジーで構成されているように思われます。

ただし、

第六章 人材を創る
第七章 人事評価制度を作る  
あとがき

については「高等動物」というモデルの範疇のことなのかどうか、現段階では判断出来ません。

ちなみに。
アリさんと人について論じている次のスレッドは
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1789&reno=no& ..... amp;page=0
ここのテーマと密接に関係していますから、そちらも読んで於いてください。

タイトル作業2 組織に頭脳を創る
記事No1857
投稿日: 2006/05/24(Wed) 13:59:59
投稿者takeo
はじめに

 SMを「高等動物」に見立てる。
ということは、いうまでもなく、SMを構成している要素について、「高等動物」の要素とのアナロジーで考える、ということになります。

すでによく知られている
高等動物・・・構成諸要素の関係及び諸要素の機能
についての知識を利用して
S  M・・・構成諸要素の関係の理解、構成を考えてみよう
というアプローチですね。

注:
ただし、このアプローチは著者もいっていますようにあくまでも「便法」でありまして、「高等毒物」をモデルに選んだからには何がなんでもSMのあり方をそれに近づけなければならない、といおうものではありません。

このあたりには私にとって興味深い問題がありまして、たとえば、「商業は人口という植物の花である」といったアナロジーもあります。いずれ機会をとらえて「類推」についてはまとめて考えてみたいと思います。

タイトルトップマネジメントについて
記事No1858
投稿日: 2006/05/24(Wed) 14:33:15
投稿者takeo
トップマネジメントは「高度に発達した脳」である。

「SMチェーンの組織は、あたかも高等動物のような「部分組織の高度な分業」の上に成り立つ。

「高等動物の脳の機能は、「高度に分業化された部分組織をコントロールしながら、外部から入ってくる情報を処理して、全体が環境に適応していくように指令を出すこと」である。

SMチェーンには、必ず「高度に発達した脳」のような部分組織が存在しなければならず、それがトップマネジメントである。

ということから、『創論」のスタートは、
「組織の脳をどう設計するか、というテーマ」からスタートすることになります。

「脳(トップマネジメント)の機能を確認し、脳を如何に設計するか」ということの重要性は、自前の脳を装備しなかった「大企業による参入〜挫折」という経験を振り返れば明らかである。

ちなみに、当社の「店づくりの転換」の提唱ではトップマネジメントについての言及がまったくありませんが、それは、本書32ページ、「SMを育てた異常なほどの創業者の熱意」と同じく、オーナーとしての「店づくり」全般へのトータルな取り組み、が前提になっているからです。

第二章については、「自分のこと」としてしっかり理解していただきたいところです。
「転換への意欲」という段階は、なかなか外部からの支援が難しいところです。ともかく、最低でも「話を聞いてみようか」というところの意志決定は自分でやらないと話が始まりません。

さて、『SM創論』は荒井さんの取り組みを踏まえつつ、一般論としての「SMの創り方」を論じるわけですから、「創業者の情念」などをあてにするわけには行きません(実際には個々人の情念が大きく影響するのですが、一般論でそれを論じるわけにはいきません)。

さて、SM企業において実際に「脳」的機能を受け持っているのは、常勤の「最高意志決定機関」でしょうか。
この機関を「脳」的機能を果たしうる仕組みとして創ること。(脳の機能は上に書きました)
大事なことは、87408741この仕組みを担うに値する人材が社内に準備されているかどうかというこであり、さらにポジションを承継する人材の確保ということ。
 役割を果たしながら@及びAの課題を同時に解決していくためには、「経営幹部会(40ページ)」の制度が良い、と著者は推奨します。

さらに、幹部会のあり方についても、いくつかの「ノウハウ」が示されています。
中でも特に著者が重視するのは、「論理的に議論を展開させる」ということ。
『日本スーパーマーケット創論』が想定するSM創りへの参加者はニッポン省思考列島の住民が主体でしょうから、このことは本当に重要なことだと思います。

トップマネジメント創り、SM企業における機能としては高等動物の「脳」のアナロジーでしたが、「機能を育てる」ところは、「脳を育てる」のアナロジーではなく、「サミットストアの経験」を採用されているようです。
このとについてはとりあえずちょっと留意しておいてください。

タイトル作業3 店舗を作る
記事No1859
投稿日: 2006/05/25(Thu) 20:26:59
投稿者takeo
さて、ここで皆さんに宿題に取り組んでいただきます。

ここで取り組むのは、「第二章 店舗を作る」ですが、ご承知のとおり、ここの内容は、

第二章 店舗を作る 
1.アメリカのSMが日本に定着しない理由

2.スーパーマーケットがぶつかった日本社会の壁
  (1)形態模倣の失敗
  (2)生鮮食品の違い
 (3)生鮮食品の消費に見る日米差
  (4)職人気質

3.壁を取り壊す
  (1)職人問題の解決
 (2)ジャストインタイム方式による問題解決
4.おかず屋を支える「効率作業」と「設備」
5.売れたらできたてで補充される
6.米国SMとの決定的違い
7.SMという言葉から機能を繙く
8.「安売り」は商売用語では無い理由
9.安売りとはセールである
10.こうして安売りが企業を破綻させる
11.「デパ地下ブーム」、「安売り」が危険である理由
12.デパートの社会的機能
13.日本に起きたデパート化の三つの波
14.デパ地下コンセプトの変遷
15.SMがデパ地下に学ぶべき三ヶ条
16.タテ社会感覚がデパ地下礼賛を生む

という構成です。

 この構成&内容を「SM創論」の「店舗を創る」編としてどう読むのか、しっかり考えておかないと、「ノウハウ」や「経験談」はては「社会評論」と言うレベルで受け取ってしまうことにもなりかねません。

第二章、どうアプローチしたら良いでしょうか?

タイトル創論の仕事
記事No1863
投稿日: 2006/05/28(Sun) 14:46:52
投稿者takeo
> さて、ここで皆さんに宿題に取り組んでいただきます。
> 第二章、どうアプローチしたら良いでしょうか?

 全体のスタンスがわかりにくく、コメントしにくい段階かも知れません。

『創論』の第一章は、SM企業を「高等動物」に見立て、その意志決定を担う機能を「頭脳」とし、「頭脳を作る」というアプローチでした。

ところが、第二章はうって変わり、
>1.アメリカのSMが日本に定着しない理由
>2.スーパーマーケットがぶつかった日本社会の壁
から始まり、
>16.タテ社会感覚がデパ地下礼賛を生む
に至るという構成でこれは「創論」というより「実践:ではないか、と感じる人もあろうかと思います。

ここは大事なところですから、しっかり確認しておきます。

SM三部作(『物語』は未見ですが)は、荒井伸也さんのSM企業経営という仕事から〈必然的に〉に生みだされました。

@SMを日本に導入しようとしたがうまく行かなかった。
A米国ではうまく行っているのになぜ日本ではうまく行かないのか?
ということで、あらためて
BSMとは何か? その原理を明らかにしたのが『原論』です。
米国で成功している「SM業態」を「原論」と「創論」に区分してみる、ということですね。

 スーパーマーケットは、@SM=内食材料提供業であれば(それが必要とされる社会では)、共通している構造 と、
A特定の時代・社会におけるSMとして備えておかなけれならない「条件」がある。
たとえば、米国と日本とではSMが果たしている社会的機能は同じですが、機能を果たすためのSM企業のあり方=「店づくり」は異なります。

米国直輸入のSMがうまく行かなかったのは、米国のSMの「店づくり」をそのまま日本の消費生活に提案しようとしたからです。
このことに気づいた荒井さんは、「SMを移植する」から、「SMを創る」に方針を転換された。
このサミットの取り組みを『サミット物語』として書いている中で、「原理」と「実践」を中間に「設計」があることに着目、その領域について書かれたのが本書『創論』ということです。

ちょっと話がそれますが。

工学などでの実験の組み立ては、
「原理」〜初期条件〜予測〜実験 というかたちになると思います。この構造を利用すると、

「原 理」 〜 「初期条件」 〜 「予 測」 は、
『原 論」 〜 「日本社会」 〜 『創 論」 となります。

日本でSMの社会的機能を発現するためには、その「原理」や「米国版創論」ではなく、日本社会という条件に合わせて「日本型SMの店づくり」を設計しなければならない、といういことです。

 ちなみに、サミットストアの場合、その店づくりがこのような「理論先行型」で実施された,と言うことを意味するのではなく、「来し方を振り返ってみれば、理論的にはこうである」ということだと思います。

「原論」をお客にとっての「買い物の場」として創っていくためには何が必要か?
このことを明らかにし、「必要」の解明と実現していくシナリオ創り、これが「創論」の役割です。

 と言うことで、前回の「宿題」はよろしいですか?
当スレッド、皆さんの想像とは大分違うアプローチになっているのではないかと思いますが、このまま進みます。
質問、要望などは出してください。

※参 考
 セブンイレブンは当初、米国サウスランド社とのライセンス契約で「米国式店づくり」を導入しようとしましたが、「これは日本向きじゃない」といち早く判断、「業容設計=創論」段階は社内で創った、ということは有名ですね。
 

タイトル三段論法
記事No1864
投稿日: 2006/05/28(Sun) 14:57:48
投稿者takeo
人間とは何か?

「シナリオを創る存在である」というのがtakeo的見方ですが、これはよく覚えておくこと。
というか、「使える」と納得できるまで考えてみていただきたい。
いずれじわじわ効いてくる定義です。

もう一つ。
シナリオは如何に創られるか?
「三段論法」を駆使することによって。
さらに考えてみますと、三段論法はシナリオつくり以外でもしょっちゅう使われておりまして、
「人間とは三段論法である」
という定義もあり得るかも知れません。

> 「原 理」 〜 「初期条件」 〜 「予 測」 は、
> 『原 論」 〜 「日本社会」 〜 『創 論」 となります。

これも「三段論法」ですね。

三段論法を過不足無く・当意即妙に駆使すること。
これが「アタマを使う」と言うことではないでしょうか。
もちろんその前後にはそれなりの作業を要する訳で、それらの作業を含めての『創論』検討の機会としていきたいものです。

タイトル融通無碍
記事No1865
投稿日: 2006/05/28(Sun) 16:29:18
投稿者takeo
「原理〜初期条件〜予測」は、
「仮設」〜(「設計」)〜「試行」と同じパターンです。
というか、後者は前者の応用です。

ちなみに。
業容コンセプト〜立地条件〜業容設計 と考えれば、「中心市街地立地の大型店の業容如何」という目下の中心市街地活性化関係者&ビッグストア業界喫緊の課題への解答がでてきます。
早い話、物件に合わせてどう業容を設計するのか、ということ。
『創論』を勉強するのは、この課題への対応を理論化する、という作業のため、ということもあるのです。

物件に合わせて融通無碍の業容構築、いいでしょ(笑

このとき「キモ」はコンセプトです。
コンセプトは業界から出てくるものではありません。
SMのコンセプトはSM「業界」から出てきたわけでは無いですよね。
さらにいえば、小売「業界」からでてきたわけでもありません。
これは客相の消費購買行動への対応として案出されたものですから、
「客相の生活課題」〜「消費購買行動」〜「業容原論」
という構造です。

小売業容のコンセプトは、「お客の生活」から抽出してこないと「初期条件」の変化に対応できません。
と言うことで、「小売業界」の一般理論は、「お客の消費購買行動」を含んでいることが大切です。
と、これはだいぶ論点が先走りました。

タイトルSMの導入当初の課題
記事No1876
投稿日: 2006/06/04(Sun) 10:27:05
投稿者takeo
 これからの流通業の進めべき道は、米国で実証されている。
という言い方がありまして、流通業は成長したかったら米国に学べ、米国で「時流」が実証されている「乗り物(=業態)」に乗れ、という分かりやすい「成長戦略」が流布されていました。

 米国流通業模倣戦略の嚆矢がSMの導入だったわけです。これは今でも続いています。スーパーセンターとか。
考えてみますと、米国由来のコンセプトに基づく日本社会型「業容構築」に成功したSM、コンビニエンスストア企業は、その後、別のコンセプト輸入をしていませんね。

 さて、SMに戻りまして。
「これから成長する業態」として導入はしたものの、なかなかうまく成長軌道に乗れなかった。

 安土さんは、その理由を「形態模倣の失敗」としています。
@マイケル・カレンによって発明された「スーパーマーケット」という業容を
A米国社会の消費購買行動により適合させるための試行錯誤の当時の集大成として
B完成していた「米国的SM」をその「形態を模倣」することによって
C成長機会とすることが出来ると考えた

ところが実際はそうはいかなかった、ということで、うまく行かなかった理由が3つ指摘されています。

1.法的規制
 @百貨店法、大店法などによる出店規制
 A米、専売品など取扱商品の規制
 スーパーマーケットの順調な発展を阻害、「足を後ろから引っ張った(p60)
 
2.日本社会の壁
 日本における(米国と比較した)生鮮食品取り扱いの難しさ

3.日本文化の壁
 伝統的な組織活動のビヘイビア

 直輸入型SMは、これら米国とは大きく異なる環境への対応に悪戦することになりました。

※あらためて確認
「揺籃期」のSMチャレンジャー達は、如何にこの三重の壁を乗り越えてきたか、その一例が『サミットストア物語』として目下叙述されているわけですが、『物語』のチャレンジャーさん達一般に共通する骨格が『創論』だというこの本の成立の事情・ポジションを確認しておきましょう。

 三つの課題のうち、「法的規制」については、この後特段論じられておりません。
これはいわば、「しつらえられている土俵」ですから、これがイヤなら(変更させるチカラがないなら)土俵を降りるほか無いのであります。

 さて、2.及び3.の問題こそ、SM創業に挑戦した起業者達が取り組み、解決してきた問題・日本型スーパーマーット創論である、と安土さんはおっしゃっている。

 先取りしていっておきますと、
@第二の問題(日本型消費購買行動への対応)は成功した、しかし、
A第三の問題(伝統的な組織行動の弊害)は未だに残っており・放っておけば日々再生産されかねない、現在も対応努力が続いている
ということですね。 

ではまず、スーパーマーケットの「日本型消費購買行動への対応」を見ていくことにします。

タイトル@消費購買行動への対応
記事No1877
投稿日: 2006/06/04(Sun) 10:51:19
投稿者takeo
 いうまでもなく、『日本スーパーマーケット創論』は、米国で発明された「SM」を日本社会に導入する、そのための「SMの日本社会適応戦略」についてまとめられたものです。

安土さんは、先述のとおり、当初、形態模倣からスタートしたチャレンジャー達がたちまち直面し、解決に取り組まなければならなかった「壁(課題)」を二つあげています。
そのうち、ここで取り上げるのは、

「消費購買行動への適応」です。
本では、「日米生鮮食品の違い」として説明されています。(p61〜71)

 生鮮食品の違いは、
@消費のしかたの違い があり、
A提供方法の違い が「制度」として存在している。
ここから、SM生鮮売り場の
Bいわゆる「職人問題」が生まれ、
結局、
C「職人問題」が「日本型スーパーマーケット」創造のプロセスに立ちはだかった大きな壁だった
と著者はいいます。

つまり、
@スーパーマーケットという新しい「内食材料提供業」を
A日本の消費者に提供しようとしたら、
B既存のシステムと衝突した
ということで、衝突した相手は、
@供給システム・・・小口当用仕入れシステムとしての市場制度
A提供システム・・・小口当用購入者のための対面量り売り制度
の二つ。

「職人問題」とは、伝統的「日本型生鮮食品提供システム」と米国渡来の「スーパーマーケット」コンセプトに基づく「日本型スーパーマーケット」の相克というか、調和というか、「日本型消費購買行動」のあるべき姿をどう実現していくか、という問題だったわけです。

タイトル生鮮食品小売業
記事No1878
投稿日: 2006/06/04(Sun) 11:20:04
投稿者takeo
 私がいつも使っている小売業の定義:

1.教科書風小売業とは
@消費財を
A他から調達または自ら製造し
B最終消費者に販売することを業とするもの

2.当社流
@お客が生活を創るために必要な材料を
A品揃えして
B提案することを業とするもの

同じことを違った視点で表現しているようにも思われますが、さて、どうでしょうか。
「もの不足時代」には上の定義でOKですが、もの余り・店あまり・選択の時代には、より課題が明確になる当社流が適切ではないでしょうか。(もっとも@の定義はAを内包しています)

お客が作りたい生活が変われば、生活を作り上げるために必要な材料も変わります。時代、社会が違えば、当然、生活に期待されていることも違います。小売業はこれらの違いに対応して、「生活の材料」として適切な品揃えを提供し続けなければ事業機会を確保することはできません。
※このあたりについては「サイト内検索」を使うと過去の議論が見られます。
ちなみに当社の「店づくり三点セット」のうち、「提供方法」と「提供環境」はここでは「提供する」ことをスムースにするための仕掛け、ですね。

 さて、当社の定義を使って「食品小売業」を定義しますと、
@「食物」を
A品揃えして
B提供する ということ。

これはさらに、いろいろな切り口で分類していくことができます。
有店舗/無店舗とか、セルフ/対面とか、専門/セルフ・・・。

ではぐっと問題にフォーカスして、「職人問題」が起こっているゲンバ、「生鮮食品小売業」を考えて見ます。

日本における:
@「生鮮食料品」が登場する生活・・・家庭内での食事
A生活への期待・・・生食(ナマショク・新鮮な食材を煮る・焼くなどの加工をせずに食べる)が多い(相対的に)

小売業の課題:生活に期待されていることが実現可能な提供
@お客の期待:新鮮な食材の当用購買・・必要な食材を必要な都度必要な量ずつ
A提供方法:小口当用仕入れ・量り売り・フードプロセッサー

このニーズに対応して「淘汰」を乗り越えていたのが、「最寄り」に立地する「生鮮食品専門店」でした。

以上、述べたような「消費ニーズvs適応努力」で成立していた専門店ですが、反面、お客の「購買行動」からみると、不都合な点がいくつもありました。

タイトル伝統的購買行動
記事No1879
投稿日: 2006/06/04(Sun) 11:24:13
投稿者takeo
※当社では、「消費購買行動」は一緒くたに考えてはならない、「消費」と「購買」ではそれぞれ異なった「期待」があり、結果の評価が行われることに留意するように、といっています。
思い出しておきましょう。

さて。
SMが登場定着するまでの、生食材の調達はどう行われていたか?

@買い物に行く前に「献立」を決め・行き先を決める
A目当てのお店に出かける
B買い物をする

必要により次のお店に回えい、@〜Bを行う。その日の「必要」に応じて必要な「専門店」を回って買いそろえる

ということが一般的でした。

さて、ここで「生食材」購買行動について考えてみましょう。

そもそも、「内食用食材の調達」という購買行動は、「ショッピング(買い物+下見+暇つぶし)」ではなく、「用事」ですね。
「家庭内食事のお世話」を任務とする人がその任務を果たすための、「楽しくても・楽しくなくても・やらなければならない仕事」であり、出来ればあまり時間をとられたくない・手早く済ませたい用事です。

スーパーマーケットの基本コンセプト:
「内食材料のワンストップ提供」はこのニーズにピッタリでしたが、問題は「内食」に期待されていること、内食材料に期待されていること、が、日米では大きな違いがあった、ということ。

「内食材料のワンストップ提供」とは、
@家庭での食事の献立材料にふさわしい食材を
Aワンストップで提供する
ということ。食事・献立に期待されていることが変われば、提供する食材を変えなければならない。

逆に、
@ワンストップだからといって
A内食生食材への期待を裏切ることは出来ない
ということですね。

日本型スーパーマーケットの課題:
@アメリカ流スーパーマーケット(生食期待は低い)を
A日本型にどう作り替えるか?

とりあえず、生食部分は、伝統的な流通・提供システムと、「セルフ・プリパッケージシステム」を組み合わせることでスタートしたところ、「職人問題」が発生した、ということです。

だらだら書きましたが、要約しますと。
@スーパーマーケットを成功させるためには「日本型消費購買行動」への適応が必要だった
AワンストップはOKだったが、期待される「生食材」提供ということでは、やむを得ず既存システムを導入したが、これはスーパーマーケットのコンセプト実現にとって障害であった。

 これは、先人の取り組みで(先進的なSM企業では)基本的に解決されている。

 というのが、「第二の問題:日本社会の壁」に対するSMの「創論」的対応です。

 

※ちなみに、「お客の消費購買行動への対応の革新」というスーパーマーケットの解への挑戦は米国でも同じことです。
ケインさんがひらめいた「内食材料のワンストップ提供」というコンセプトは、現行の「店づくり」に規定されている購買行動の現状がもたらしているお客の「潜在的不便・不満」の解消にピッタリ合致するものでした。
もちろん、創発者はお客の消費購買行動を十分踏まえて「店づくり」に取り組んだことでしょうし、後続企業もそれに優るとも劣らない店づくりを、と日進月歩だったはずです。
おおむねが出来上がった段階で、「これがこれからの乗り物だ」と形態模倣してもダメ、購買行動が違うわけですから、日本型消費購買行動に満足してもらえる「売り場」を作らなければならなかった。

 ではその取り組みはどのような視点でどのような仮説を立てて取り組まれたのか?
その取り組みを総括、一般論として提供されているのが、『創論』です。
 ということで、この本は、「業容革新」という課題に直面している他業種・他業態の皆さんにこそ是非読んでいただき、そのエッセンスをしっかり受け止めて欲しい。
 ということで、当社も及ばずながら、こういう機会を設けた次第です。
 ということで、皆さん、質問・疑問・反論・批判、大歓迎ですからね。

タイトル対応としての店づくり
記事No1881
投稿日: 2006/06/05(Mon) 13:58:15
投稿者takeo
コンセプト主導による店づくり

ここでは関西スーパーの取り組みが紹介されています。

本書によれば、同社の創業者、北野さんは、67年はじめてハワイの流通業を視察、米国版SMの経営者との交流などでSMの小売業としての機能が、「おかず屋」であることに思い至りました。(p78)
以下、本書から引用(p80〜81)

*********
北野が注目したのは「売り場の状態」である。これこそが、スーパーマーケットが消費者と接するたった一つの場だからだ。マネジメント論(システム論)でいうところのインターフェース(接面)に注目し、そのレベルを「あるべき状態」に保つことを目的にシステム開発を行ったのだと解説することが出来る
********

もの余り・店あまり時代の小売業は、標的とする消費購買行動のデスティネーションとして適切な「店づくり」を実現しなければならない。つまり、お客にあまたある買い物行き先の中から自社売り場を選択・愛顧してもらうためには、お客の期待に応えうる店づくりが絶対条件です。
 消費購買行動の受け皿づくり、という小売業の事業機会を認識すれば、企業活動の基本は、売り場づくりであり、売り場の問題解決ということになります。
「売り場の状態」は、起業の存在価値そのもののその時々の実現・提案です。

 おかず屋・適切な献立材料を、適切な量・価格で提供する、ということをまっすぐ突き詰めていくことから、「職人問題」は解決ではなく解消されてしまったのではないでしょうか。

 セブンではサウスランド社との提携により、現地で教育を受けることになり、参加された鈴木さんは、イントロを聴いたとたん、「これは参考にならん」とあとは聞く耳を貸さなかったそうです。
つまり、セブンの場合、はじめから「コンセプト」だけ採用、店づくりは「日本型セブンイレブン」を自力で構想し、実現していく、というアプローチでした。
これは、コンサルタント経由で「乗り物としてのSM」を直輸入しようとしたSM業界と大きく異なりますね。

 余談ですが。
 私が米国流通業を視察したのは、ずうっと後、90年頃でした。
カリフォルニアでラルフというスーパーマーケットを見たとき、日本でコンサルタントが展開しているスーパーマーケット論が全体として・機能論から現場の技術論に至るまで・如何にデタラメ窯仮と追っているかということに気づき、驚いたものでした。
コンサルタントを開業する前の話です。

 さて。
 企業の活動の多くは、自らが選び取った社会的機能を如何に適切に果たしていくか、という問題に不断に取り組んでいくことだと思います。
小売業の場合、主たる問題は売り場に有りますから、企業組織のあり方は、「売り場の問題を解決する」ための「最適組織」を構想し、実現していくことにあります。
と、これは「日本文化の壁」関連で。

タイトルセントラルパッケージvsインストア
記事No1882
投稿日: 2006/06/05(Mon) 14:37:17
投稿者takeo
 効率的店舗運営という視点で導入された生食材のセントラルパッケージシステムでしたが、競争が激化するにつれて、問題はソン後頃にあるのではなく、「誰がもっともよく顧客の期待に対応する店づくりを実現しているか」ということを巡って、顧客の評価の獲得を巡って顧客のアタマの中で行われていることが明らかになりました。

 この時点で、「顧客ニーズへの対応」とは無関係の「セントラルパッケージ方式」の至らなさが暴露されたわけです。
「インストア方式への転換」が、スーパーの存続を左右する課題であることを確認してください。問題は効率ではなく「顧客の期待」を定義し、対応を構想することだ、と喝破し、果敢に取り組んだところだけが生き残った、と安土さんは述べています。
効率か顧客ニーズか、凄まじい限りですね。
ちなみに、顧客期待を実現するための愚直な取り組みは、翻って必ず「経営の効率化」を実現することにつながります。
これは理論的にも実践的にもそうなります。
北野さんが取り組まれた「現場の問題解決」も雄弁なその実践ですね。

 お客は売り場が無ければ物を買うことが出来ませんが、複数の機会が提供されると、自分なりの基準で行き先を選択します。選択は試行でありその結果はフィードバックされて次回の選択に活かされる。
こうして購買者はどんどん選択力が向上していきますが、他方、お店側の能力はどこでどのように向上させていけばよいのか?

 答は簡単でありまして、お客が買い物の場で能力を向上させるのなら、こちらも同じ場において能力の向上を図るべきである。他に適した時と場所が有るわけでもありませんし。

タイトルA日本文化の壁
記事No1884
投稿日: 2006/06/05(Mon) 18:39:24
投稿者takeo
 三つめの障壁、「日本文化の壁」について。
ここは、「ニッポン省思考列島」的揶揄とも関連がある所です。

 著者は次のように述べています(P91)

「スーパーマーケットの店舗コンセプトを日本が導入するにあたって、日本の文化が、ほとんど無意識のうちに大きなマイナスの影響を与えた」
 これは端的に、「日本型GMS」をスーパーマーケットと誤認、GMSとSMの区別をしない「理論家」や「評論家」の存在に明らかであり、「この誤認が、日本の流通論(ひいては国や地府斧商業政策)をゆがめて来た程度を過小評価してはならない」(p93)

 このような誤認が生じたのは、「ほとんど無意識の世界に潜んでいる文化(言語世界)の違いに起因していると言える(p93)

では、日本社会のどのような文化のあり方が障害になったのか?

その1 「スーパーマーケット」という単語の定義について。
 真の意味を問わないまま、「片仮名言葉にして、とりあえず導入した」。
つまり、米国において、「内食材料」をワンストッで提供するという機能を体現していたSMを導入するにあたって、このコンセプトを理解できなかった、ということである。

(ちなみに、SMの定義については、コンサルタントなども「総合食品小売業」などという「業種発想」にとどまっていたことが、その後、SMの中から「総合量販小売店」が出てくる契機の一端になったのではないか、と私は思っています。)

その2、「安売り」
「スーパーマーケットは食品を総合的に品揃えして、安売りする商売である」というような通念が出来上がっており、これにSM関係者までもが囲繞されている。 
と著者はいいます。

さらに、これは、ある特定の価値のある商品をその本来の価値以下で売る、ということであり、「販売促進」用語である。
販促用語がSM業態が持つ本質的な機能の一部と誤認された。
このことは、「SM=内食材料提供業」というコンセプトへの執着を薄れさせた(と著者はいう)。

 ここから、SMは「安売りをしなければならない」安売りの実現こそSMの社会的機能である、という錯誤が生まれ、安売りを実現するためなら、SM本来の有るべき店づくりなどは吹っ飛んでしまっても、あまり問題にならなかった。

 ということで、
@SM業態の導入期において、スーパーマーケットのコンセプトが明確に把握されなかった
A(その結果)販促手段である「安売り」をSMの基本機能である、とする誤解が生まれた。
B誤解に基づく経営が続けられた。
その結果、「安売り」実現が最優先の経営戦略と位置づけられ、多くの施策が講じられた。今日、この路線を採用したSM、GMSは前世紀末、ほとんどが不振に陥った。

「迷信ともいうべき安売りコンセプトが、企業や人々の運命を変えてしまったことの恐ろしさに慄然とせざるを得ない」(p106)

 さらに近年、SM業界では「安売り」信奉のカガミの背面ともいうべき「デパ地下」礼賛が行われている。
これも「SM=内食材料提供業」というSMの基本機能を忘れた所で成立する「販売促進」であるということで、「安売り論」と同断である。

安売りコンセプト、デパ地下コンセプトとも、「内食材料提供業」というSMの基本コンセプトを忘却したところでしか成立しない擬似コンセプトである。

*******
スーパーマーケットの店舗を創造するためには、「その店舗周辺に住む消費者家族の普段の食事(もっとも普通で頻度も消費も多い食生活)の需要を完璧に満足させるにはどうしたらいいか」という視点が、他の何にも先駆けて必要なのである。その基本使命を果たさないで、いろいろyほけいなことに迷わないことが肝要である。(p133)
                         ********

 このような事態が起きてしまったのは、「日本文化の壁」が原因だと著者はいいたいようですが、では日本文化のどのような特性が、その原因になったのか、ということについては、この章では究明されておりません。

これを日本文化の問題として考えるならば、
「日本文化にとってコンセプトとは何か」
という問題として取り組むことが求められるのではないでしょうか。

タイトルコンセプト
記事No1885
投稿日: 2006/06/05(Mon) 22:03:37
投稿者takeo
 小売業関係で「コンセプト」は大変よく使われるコトバの一つですね。商店街でももちろん飛び交っています。

 私が疑問に思うのは、「コンセプト」という言葉の意味とか、具備要件とか、作り方とか、分かって使われているのかな、ということ。
あなた、今言った「コンセプトって何のこと?」と質問されて自分が使っているコンセプトの意味をきちんと説明できる人が果たしてどれくらいいるでしょうか?

 日本文化の壁なのか、日本流通業界のビヘイビアなのか、後ほどあらためて考えてみたいと思いますが、「言葉の定義はテキトーでよい」という風潮があります。これは結構各方面に行き渡っていますね。

 当サイト正面の課題に即して言えば、「活性化」という言葉がそれこそ空中乱舞しておりますが、その定義は定かではありません。

 新「法」では、中心市街地活性化を「中心市街地における都市機能の増進と経済活力の向上」としていますが、
都市機能の増進とは、「都市機能」がどうなることを指すのか、いまいち分かりません。増進すべき都市機能とはどのようなものかということも。

 経済活力の向上も同様で、「経済活力」とは何か、これを向上させるとは何がどうなることを意味しているのか?

 これらがきっちり定義されないと、活性化実現のシナリオが描けないはずです。そうするともちろん、必要な施策、そのミックスも構想できないはずです。・・・・・。
もちろん、数値目標も出せないでしょうね。

 という具合に、商業系では「理論」やその取り扱いに関する知識が不足しているのではないでしょうか。
果たしてこれは「日本文化の壁」なのかそれとも日本流通業界の怠慢なのか、考えてみたいと思います。

タイトル空体語と空気の支配
記事No1886
投稿日: 2006/06/06(Tue) 07:13:38
投稿者takeo
>  という具合に、商業系では「理論」やその取り扱いに関する知識が不足しているのではないでしょうか。

 この不足はどうして起こったのか?

> 果たしてこれは「日本文化の壁」なのかそれとも日本流通業界の怠慢なのか、考えてみたいと思います。

 もちろん、話としては「日本文化の特性」が、「日本流通業界」にもあまねく行き渡っているために起こったこととも考えられますが、果たしてどうでしょうか。

 ここで思い出されるのは、山本七平さんの実体語⇔空体語という対概念です。
「実体語」は、指し示す対象を客観的に共有できるコンセプト
「空体語」は、指し示す対象が定かではないが、「お約束」により、「有ることにされている」何かのコンセプト
 一寸わかりにくいかも知れませんが。
「中心市街地活性化」などもそうですね。
中心市街地活性化とは、@都市機能の増進及びA経済活力の向上 である。
@ここでいう都市機能とはどのようなたぐいの都市機能のことか? それらが増進されるとはどういうことか?
A経済活力とは何か?
 それが向上するとは「経済活力」がどうなることを意味するのか?

何を指し示しているのか分かりません。すなわち空体語です。
空体語が幅をきかすについては、根拠がありまして、それが「空気」です。
「空体語の詮索をしてはならない」という空気が支配するところでは、空体語が人々の思考に入り込み、それに影響を及ぼします。

問題いなっていることは、「スーパーマーケット」という眼前する業容について、

@実体を過不足なく表すコンセプトが作られなかった
A「総合小売業」などと言う「機能」ではない「見た眼」がコンセプト代わりとして通用した
ということがあったわけですが、コンセプトとSMの店づくりの実体を対照して、コンセプトの実体と整合性を確認することは可能でした。
検討すれば、SMが「総合食品小売業」ではないことは明らか担ったのですが、この検証作業を阻むものがありまして、これがこれまた山本さん名付けるところの「空気」ですね。

 業界には、垂れ流されるご託宣に逆らえない・「教育」に対して批判的な態度をとることを許さない「空気」が充満していたのではないか、と思います。
私は当時(今もそうですが)の業界を体験したわけではありませんが、「教科書」を読んだり、経験者の話などを伺ったかぎりでは、安土さんが言われている「日本文化の壁」は、「批判的検討を許さない」という意識的に作られた業界の「空気」ではないかと思います。
この「空気」が出来上がること自体が「日本文化」なのだ、といわれればそうかも知れませんが、SMとのそのコンセプトの整合具合、という「見れば分かる」ことがどうして見えなかったのか?

「裸の王様」がどうして裸でパレード出来たのか?
ということではないでしょうか?
伝聞する当時の「教育」の実態は、本当に「裸の王様」状態だったようですからね。

 

タイトル促成栽培
記事No1889
投稿日: 2006/06/07(Wed) 21:11:27
投稿者takeo
SMという業態を輸入するにあたっては、

カタチは向こうで出来上がっており、マニュアル通りに行動すればSM企業のできあがり、という風潮があったのではないだろうか、とまったく縁の無かった私などは思うのですが。

カタチも動き方も「成功事例」つきで揃っている。
とすれば、後は如何にマニュアル通りに動くように人間を鍛えていくか、ということになります。

伝え聞く、
@現場はものを考えるところに非ず
A考えるな暗記せよ
といった「教育」はおそらくそういうことだったのではないでしょうか。

もしそうだとすれば、ここから脱却して「自力思考」を取り戻すのは並大抵のことではなかったかも知れません。

もう一つまずいことがあって、それは業界の専門用語の定義があまりすっきりしていなかったこと。
定義を覚えることは「共通の土俵づくり」のために必要ですが、定義がすっきりしていないと、定義の共有が出来ません。
おそらくこういう問題も業界では起きているはずです。
サミットストアではどうだったか、これは言及されていないのでwかりません。

タイトルSMの店舗
記事No1890
投稿日: 2006/06/07(Wed) 21:29:38
投稿者takeo
SMのコンセプト:
内食材料をワンストップで提供する
というコンセプトにもとづいて創られる店舗は如何にあるべきか。

これはもちろん、コンセプト主導・トップダウンで考えなければならない。

必達すべき条件:
@品揃え:普段の食事の材料一式 +一緒に済ませたい買い物&用事 
Aサービス:セルフ、ワンストップ
B提供環境:住宅地付近 ワンウエイコントロール 

「日本型」の条件として、生鮮食品の鮮度管理システム=ジャストインタイム方式の採用

と言ったところでしょうか。

 コンセプトはお客に「コンセプト的買い物行き先き」と評価されてはじめて機能を果たします。
「コンセプト〜顧客基準の店づくり」というのが「店舗づくり」であり、このレベルはもちろん現場ではなく、トップがアタマが所掌する問題です。

では次に、コンセプトをブレイクダウンした店舗の三点セットをどう作り・運勢していくか、という問題。
これは、「SM企業を運営する組織」はどう考えるべきか、という問題です。

 SM事業体における「店舗という機能」についての安土さんの理論には後でもう一度還ってきます。